フィレンツェ
ローマに3日ほど滞在した後は電車で北に向かい、花の都フィレンツェに行きました。ローマの古代建築もいいのですが、フィレンツェの中世〜ルネサンス期のもろもろのほうが好きなのでワクワク!!(二日間滞在)
ヴェッキオ宮の写真はあまりに空が青すぎて合成っぽくなってしまいました。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ聖堂。なんか改修工事しててこの微妙な角度じゃないといい絵にならなかったんです……。高いところには登らざるをえない!!さっそく登りましょう。
キレイですよね。これ、写真じゃ全然伝わらないけれど、涙がにじみます。フィレンツェはイタリアで最も素敵な街だと思います。
でもね、上記のフィオーレ聖堂もいいんですけど、マイナー性を標榜する陰険なボクとしてはそのすぐ隣にある「ジョットの鐘楼」のほうが好きです。(写真のすぐ右がサンタ・マリア・デル・フィオーレ聖堂)
エレベーターが欲しい。ヨーロッパって古い町並みや建造物があるのはいいんだけど、ジャポンの至れり尽くせりに慣れてしまった我々には厳しいものが…。また階段登るのかよっていうね。でも、階段の途中の明かり窓から見えてきましたよ、隣のクーポラ(ドーム)が!!
この日は曇りだったのでいい写真とれなかったんだけども、このようにフィレンツェの代名詞を写真におさめることができるのです!(向こうのドームの上に人がいるのわかりますかね?)しかも人も少ないしね!ジョットの鐘楼最高!
もちろんヴェッキオ橋にも行ってきました。橋の上にたくさん家がある〜!
世界史やった人なら一度は聞いたことあるサヴォナローラが火刑に処されたところにある印。
実はサン・マルコ美術館やウッフィッツィ美術館、アカデミア美術館にも行ったんですけど、全部館内写真撮影禁止だったのですよ……。なにがなんだかわからない人は世界史の資料集のルネサンスあたりを見ていただければいいです。そこに載っている作品のほとんどを見たということです。それでもわからない人はサイゼリヤに行ってください。壁に描いてある絵です、カンタンにいうとw それらを見てきました。
でも一つだけ館内写真OKなところがあったんです。それが「インノチェンティ捨て子養育院」
こんなところガイドブックに小さく書いてあるだけで普通は行きませんが、(一応)西洋史専攻なので行かざるをえない。
この柵の下のほうには、下に回転する丸いの(中華料理のテーブルのような)がついていて、どうしても子供を育てられない親が建物の向こう側に自分の子供を置きます。そして修道院の人がくるっと半回転すると、親と対面することなく身寄りのない子供を引き取ることができるという…。14世紀のペストに代表されるようにヨーロッパは何回も危機に直面します。子供を無事に産むことができても、財政難や、あるいは社会的な圧力によって子供を育てられないケースというのは普通にあることでしたし、それはつい最近まであったことです。こうした状況に直面した教会、修道院は慈善施設を中世後期あたりから作っていきます。それがだんだんと専門分化して、あるものは捨て子に、またあるものは老人むけに特化していきました。このインノチェンティ捨て子養育院もそうした特化した慈善施設です。
子供を捨てる親としては、非常に辛いわけです。そこで子供に「形見」を持たせるケースがよくあったそうです。写真は18世紀の「形見」です。ここにあるものは比較的まともですが、本当に貧しい場合は自分の髪などを握らせるケースもあったそうです。18世紀でもヨーロッパ各地でこのような機関があり、たとえばイギリスでは民間のチャリティーとして養育院が建てられたそうです。
写真の中央に注目してください。これは半分に割られた貨幣です。「もし、いずれ引き取ることができるようになったら、我が子の目印に……」という親の願いを感じることができますね。*1
*1:たしか、こういったことを専門にしている日本人研究者がいたと思います