イメージと戯れること

最近、ホリエモンが「食料生産以外は仕事じゃない」みたいなことを言っていた。
たしかに、サービス業とかは、記号とイメージと戯れることが仕事だ、という定義もできるのかもしれない。
戯れる、という言葉にludo,ludere(遊ぶ)要素が含まれているのが僕の気に入った。やっぱりホモ・ルーデンス論に共感するよね。日本人は本気になっちゃうとさ、悪い方向に転がっていくと思う。

文化庁メディア芸術祭

に行ってきた。去年も行ったけどやっぱり感動した。
そこではイメージが溢れていて、生きていく上でなんら必要のないものが堂々と展示されていた。でも、高揚感というか鳥肌がたつ思いで会場を見ていると、僕は生き返った気がした。前にも書いたかもしれないけど僕の人間観は二つあって、一つはホモ・デメンス(狂った人)で、もう一つはホモ・ルーデンス(遊ぶ人)。
動物的本能まで損なわれた狂った動物であるというペシミスティックな考えと、人間の本質は遊びだと捉えるオプティミスティックな考えが僕の中では混ざり合っている。動物の中にも遊ぶ種がいると聞くけれども、それは単にコミュニケーションの一部であって、それ自体が独立して彼らの生活内に存立しているわけではない。ところが根本的に欠陥のある人間種は遊びを独立して思考するようになり、それが芸術へと進化した。つまり、人間が内包する破損と遊び、そして芸術は同じ地平で語ることができよう。


芸術は人間の傷を癒す…慰める。無料なのでまだ行ってない方はぜひ行ってみてください。
ちなみに僕が好きなのは光用千春の『こどものころから』という作品。

こどものころからずっと感じていた、不安や焦燥や寂しさのようなものを1冊の本にまとめた。

僕みたいな日陰者にはうってつけ。ホントに欲しい。売ってくれないかな…。


審査委員会推薦作品 マンガ部門

イメージと歴史学

芸術祭に行ってリフレッシュしたわけで、そこでひらめいたのは、僕はイメージと戯れることが好きだということ。
こうなると、イメージと歴史学という結びつきが頭の中でできあがってきて、今興味があるのは…
ブルクハルト、アビ・ヴァールブルク、カルロ・ギンズブルグ、あとはもちろんアナール学派もろもろ。
彼らは基本的に美術史系の人が多いけど、やっぱりイメージを歴史学の要素に取り込むっていうのは常人ではできない芸当だと思う。いいなぁ、あこがれるなぁ。僕も歴史の中でイメージと戯れたいな!!(無理だろうけど)
彼らの著作を読んだらここで感想でも書きたい。

ユキとニナ

っていうフランス映画を観に行ったりもした。ロリコン御用達!だろうと思い大きいお友達がうようよしていると思いきや、全然違った。映画始まる前、僕の近くに座っていた人は『文化人類学の今』みたいな本を読んでてビックリした。逆にあれか、逆にソッチ系か!?と思い僕も対抗して16世紀の魔女裁判記録を読んだりしたけどオーラで負けた。
映画自体はおもしろかったけど、僕はあまり、というか全く映画を観ない人なので正直いい悪いの区別がつかない。まぁでも、普通にいい映画だと思うけどなぁ。
ユキとニナ公式ページ
<そのまんま子ども>って感じで、ニヤニヤできますぞ、紳士諸君!
ところで信じられないかもしれないけど、フランス人ってなんの努力もしないでフランス語が話せるらしいです。僕もはじめは信じてなかったんだけど……。やっぱりいるみたい、フランス人って。

どうでもいいこと2つ

物語叙述(ものがたりじょじゅつ)って早口で言えないことに気づいた

龍馬伝坂本龍馬の「こころ」ってセリフのイントネーション物まねを披露したら、悲しい顔された


ところで、今日は久しぶりに日記調で書いてみたけど、やっぱりダメだ。恥ずかしくなってきたわ。