『アジアのエデン』前書き

2007年、ドイツ国立図書館ライプツィヒ館の地下文書保管所に一冊の本がひっそりと収蔵された。劣化が激しかったので専門家による補修作業が行われ、現在は一般人も参照できるようになったが、ほとんど誰も興味をしめしてはいないようだ。この本の著者はハインツ・ハーディン。彼は1903年現在のノルトライン=ヴェストファーレン州エッセンにルター派牧師の息子として生まれた。外で活発に遊ぶよりも読書を好む、少し内向的な少年は、1922年にベルリン大学第1哲学部に入学。そこで東洋史、特に中央アジア研究に夢中になったらしい(哲学部だが、歴史専攻もある)。1934年には実際に現地調査隊にも加わり、そこでの体験を記述したのが前述の著作である。しかしハインツは第二次世界大戦に巻き込まれ、研究を中断せざるをえなくなってしまう。1935年の兵役法による徴兵制度の導入時には彼はまだ調査隊として国外にいたため徴兵はされなかったが、帰国してから2年後の1940年、ついに徴兵され、ハインツはドイツ陸軍第9軍へと編入された。第9軍は当初はもっぱら内地での訓練を中心とする戦略的予備部隊として戦争への参加はないものとされたが戦況の激化により戦線に投入。主にソ連軍と戦火を交えた。バルバロッサ作戦後、ハインツは1943年7月のクルスクの戦いにおける史上最大の戦車戦を生き延びるも、後衛撤退時のソ連軍との戦闘最中に行方不明になってしまった(公式には1958年に「死亡」認定された)。


ハインツの著書『アジアのエデン』はもともとは学会に提出するための論文であったのだが1939年頃に学会発表前に私的に製本したらしい。そのため現存するのは1冊のみである(オリジナルの論文は学会では結局発表されずに紛失してしまった)。長いあいだハーディン家に保管されていたが、遺族がたまたま発見し、図書館に寄贈したのだ。


『アジアのエデン』は学会発表用とはとても思えないほど生き生きとした文体で書かれており彼の文筆家としての一面をうかがわせる。内容は4年間の現地調査の集積ではあるが、結論は「アカデミック」とはとても言い難いものとなってしまっている。それは一種の宗教体験のようなものであり、彼はその4年間で法悦を体験したかのようでもある。
このファンタジーとアカデミーの狭間を自由に行き来する『アジアのエデン』の魅力にとらわれてしまった私は図書館に何度も出向き、長い時間をかけて翻訳した。といってもこれが初めての翻訳作業で、またドイツ語にもさほど明るくないため、一部誤訳などがあるかもしれないが、その場合はご指摘くだされば幸いである。読みやすさを重視したため、なるべく注釈はつけないようにしたが、どうしてもの場合はその語の後ろにカッコ書きしておいたので適宜、参照してほしい。