志村貴子『放浪息子』

やっほーい!放浪息子の新刊ですぜーダンナ。ふひひ、おぬしもわるよのぉ!!
というわけで、今日は授業終了後、新宿紀伊国屋に行ってきました。「青い花」コーナーとかできてて「志村も出世したもんだなぁ」などとニワカのくせしておまえ何様だよ、とツッコマれそうな感慨にふけってしまいました。「青い花」はたしか2巻発売あたりに知ったのですが、その頃は書店の隅っこにひっそり置かれてて……その頃から知ってると昨今のアニメ化なんかを見ると、うれしい反面、「あぁ、貴子はもう僕だけのものじゃないんだな」という(相当気色悪い)思いを感じたりするんですけど、わかってもらえますかねw


それで紀伊国屋だと「ブックカバー」もらえるだろうと期待して行ったのですが、案の定もらえました!


キューーーット!!いやぁ、思わず顔がゆるんじゃいました。(もとからゆるんでるし、最近、精神もおなかもゆるみっぱなしですけど)


レジの人がすごい声の大きいお兄さんで、購入するときに「放浪息子ですね、ただいまこちらのカバーをおつけしております」とね、言うんですよね。「なに?放浪息子だと?なんだなんだ、このヒョロッコイのが(つまり僕)放蕩息子なのか?」なんて周囲の人が思っちゃったらどうしよう…なんて赤面してしまいました。
しかも店内が混んでるにもかかわらず「あのぉ、そのカバーって、今それにつけてもらうことできますかねぇ、ふひふひ…」なんてお兄さんに頼んでしまったために、優しいお兄さんはかなり時間をかけてカバーをつけてくれました!この場をかりて改めて感謝の意を表したいと思います。ありがとうお兄さん!!


さて、9巻ですけど「あぁーこうきたか」と。前巻のラストが衝撃的だったために、こういう展開になるのは想像してたんですけど、けっこう重いなと感じました。
いわゆるトランスジェンダーものってけっこうドタバタ劇に終始してるのに対して、こういう内面的葛藤を描く作品って、あんまり知らないので僕は『放浪息子』を高く評価してるんですけど、この巻は、いままでの二鳥くんの個人的、あるいは限定されたあるグループの中での内的葛藤というものを超えて、さらにより広く周囲を巻き込んだ形でジェンダーに関する問題、疑問を提示したという点で前巻と区別できるし、ひとつのエポックになるのではないかと思います。そこでおこる家族の葛藤、周囲の無思慮な態度、イジメ、仲間意識…これらを志村貴子独特のサラッと流すような物語展開でつづられていておもしろかったです。というか、もし志村さん以外の作家がこれを表現しようとしたら、たぶん僕読めなくなるんじゃないかな。こういう重いテーマも直視しつつも、わりかし「流す」から志村貴子はやめられませんね。


あともう一つ、これはまたいつか、まとめようと思うんですけど志村貴子のマンガにおける「文字」の役割についてですが、志村作品はこの「文字」が非常に大きなウエイトを占めると思うんです。たとえば、この9巻の48ページ目は「文字」だからこそ与えることのできるインパクトがありますよね。これをたとえば絵で表現しようとすると難しいんじゃないかな。あるいは『青い花』1巻の44ページ「その一言は 10年の月日をかるくとびこえた」という有名なシーン。これも「文字」以外で表現したら、逆にリアリティーが損なわそうですよね。ほかの表現に代替不可能な「文字」。あるいは「絵」で表現するというマンガ媒体の基本ルールの逸脱…。僕が知らないだけで、この「文字」に特化したマンガ家さんなんてたくさんいると思うのですが、それでも志村貴子はうまいなぁ〜、と。
あと空間の使い方がキレイだなと思います。70話が特に好きです。空が、すごく、美しいんだけど、悲しいんだよ。
まぁゴタゴタのたもうてきましたけど、志村貴子いいっすねーってことが言いたいだけですw

放浪息子 9 (BEAM COMIX)

放浪息子 9 (BEAM COMIX)