ヱヴァ破(少しは理性的な感想)

というわけで昨日ヱヴァンゲリヲン新劇場版「破」を観てきて、開始早々から号泣しっぱなしで周囲の人々にどんびきされたんですけど、なんで皆さん泣かなかったのかしら、と不思議でしょうがない僕です。
本当に泣いてるの僕だけで、恥ずかしかったんです。映画が終わった後で「戦闘シーンすごかったな」とか「海をきれいにする施設あるんだな」とか言ってる輩がいましたが、そうじゃないだろぉぉぉ!!!


もっと根本的なことに触れたんじゃないの?そんな表面的なことは二の次だろ、もっと…言語化するのは難しいし今の僕にはどうしようもできないけど、それでももっと何か別なものを感じただろ!

語りえないことについては、沈黙するほかない。
Where (or of what) one cannot speak, one must pass over in silence.

という、あまりにも使われすぎて今では半ば冗談のようになってしまった、このウィトゲンシュタインの言葉が今の僕にはぴったりです。語りたい…しかし僕にはその言葉がない。悶々としたこの精神を平静へと導くためにこうして(ダメ人間)ブログを書き殴ってるわけです。

それでも…僕は語りたい!

ただ、少しは語りたいので語らせてもらいます。

『天使の蝶』にみる人間の内なる可能性

今回の映画の挿入歌で「翼をください」が流れましたね。そして映画のラストシーンで思いついたことがあります。プリーモ・レーヴィ*1の『天使の蝶』です。

天使の蝶 (光文社古典新訳文庫)

天使の蝶 (光文社古典新訳文庫)

20ページもない短編なんですけど、最高におもしろいです。背面にかかれた紹介書きを以下に書きます。

「先史時代の鳥類」のような奇怪な骨を見つけたのは、廃墟と化した大戦後のベルリンのアパートの一室……。表題作「天使の蝶」には、化学者でもあったプリーモ・レーヴィの世界観が凝縮されている。人間の夢と悪夢が交錯する、本邦初訳を多数収録した傑作短編集。

この作品では、人間はネオテニーつまり幼形成熟だという説がでてきます。人間はもっと高次の存在に「成長」できるのではないか?ただ時間がないだけで、時間さえあれば、「本来の姿」に変われるのではないか?
そしてこの作品では、この「本来の姿」が天使の姿なのではないか、と推測されています。しかし、人為的に変化させようと試みた研究者が見たものは……


人間はより高次な存在にたどり着ける可能性を内在的に秘めていることと、それが天使の形で表されることはヱヴァ的だなぁと思うのです。

幼年期の終わり』にみる人間の「高次」的進化

いわずと知れたSFの名作ですが、たくさんの人が指摘するようにこれもヱヴァ的ですよね。

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)

この作品でも人間は「高次」の存在へと進化しますよね。もちろんこの作品とヱヴァを結びつけているのは、その後半というかラストもラストのシーンでの、あの何とも言い難い…我々の理解の範疇から超越した、しかし至高の美しさを感じさせるあのシーンが旧映画版のラストと酷似というか、少なからず影響を与えてますよね。
意識的存在となった人間が一つに「融合」していく。そこでは個の分裂は回復され、孤独から解放される。


まぁヱヴァ関係なしに上記2冊はおもしろいですけどね。

日本人でよかった

Good Morningが日本語の「おはよう」に完全に対応するわけがないですよね。Good Morningという言葉が喚起するイメージと「おはよう」のイメージは全く違うからです。そこに異文化コミュニケーションの難しさと楽しさがあるんですが。
ヱヴァの世界では、セカンドインパクト後、日本はずっと夏なんですよね。だから作中ひっきりなしにセミとかヒグラシの鳴き声が聞こえる。この鳴き声や夏を喚起させるイメージ…これらは日本人に独特の感情を抱かせます。そしてそれは製作者側も意識していたことなんじゃないかな。「日本の夏」というイメージ。その繊細な仕掛けは日本人(日本で育った人)しか完全には理解できないわけです。
ヱヴァはいくらでも深読みが可能な作品ですが、それは作品全体が非常に豊かなイメージであふれているからで、この「夏」のイメージも直接的には作品解釈に影響することはないにしても、たとえそれが無意識的であってもとても大切なことなんじゃないかな、と僕は思います。日本人でよかった。


極論だけどヱヴァンゲリヲンっていう作品はすでに日本の「古典」と認知してもいいのでないかな。つまり誰もが一度は見るべきである、という点において。「序」は普通なんだけど、「破」はすごいんだって!
ヱヴァンゲリヲン「破」は日本人なら観るべき。

*1:イタリアの作家 アウシュヴィッツから奇跡的に帰還し、その体験を著す。しかし1987年に自殺。