ヱヴァ破(直情的短絡的感想)

ヱヴァ序が公開された時、僕は大学を落っこちて浪人生だった。その身分で映画に行くのは気が引ける、ということで大学受かってからDVDを借りて観た。そして思った、次は映画館で鑑賞しようと。


今日ヱヴァンゲリヲン新劇場版「破」を観た。ここで熱く語ろうと思った。しかし残念ながら、僕はそれを語る言葉を持ち合わせてはいない。

浪人時代に、ある講師がヱヴァについて少しだけ話したことがあった。当時、たぶん 『Air/まごころを、君に』だと思うが、それを映画館で観た若者は涙していた、と語っていた。
僕にはそれが信じられなかった。映画を観て泣く……それは客観的にみて見苦しいものだし、なにより僕はひねくれ者で、そんなので泣くなんて製作者側の意図にどっぷり浸かった白痴どもだと、正直馬鹿にしていた。

だが、時が満ちた

ところが、このひねくれ者の僕が今日の「破」で号泣した!
しかも最初の使徒を倒すところから泣きっぱなしだった。1時間以上、僕は涙と鼻水をだらだら垂れ流しながら映画を観ていたんだ。だって鼻かんだら周りに迷惑でしょ?自分でも信じられなかった。先の「序」はたしかに感動したし、涙腺刺激されたシーンもあったけど、それでも号泣なんてしなかった。するわけがない。僕は完璧なひねくれ者なんだ。たかが2時間の映画で泣くなど……
挙げ句の果てに、なんで泣いてるのか自分でもわからなかった。「自己を可能な限り言語化すること」が僕の最近の信条だったから自分でも悔しい。理由もなく泣くなんて許せない。さらに一緒に行った友達は、あるいはその他の観衆どもは涙なんか全くみせていない。これはいかなることか?


ここで一つの仮定をたててみよう。つまり、僕は疲れていたんだ。精神的にまいっていたんだ。だから感情移入しやすかったし、さすがに号泣する映画ではなかったと。
だがこの仮定はナンセンスだ。なぜなら映画を観つつも僕は一種の「批判的視座」を保っていたのだから!(垂れてくる鼻水を口で「飲み」ながら、批判しようなどとはおこがましい!)
たとえば新キャラクターの性格付けは、いかにも現在の「萌え」データベースから集めてきた要素をぶち込んでみました的で少々鼻につくかな、とか挿入歌や音楽はこれよりいいのがあるのではないかな、とか、「あ、鬼頭莫宏だ」などなど。だから冷静でなかったというわけではなかったのだ。


僕は高校をでて浪人して大学入って……そうした無味乾燥で振り返る価値すらないような空漠たる時間の経過の中でも、一応は「前進」していたのだと思う。新しい思想、考え、ものの見方、知識、友達、そして悪。今までの僕になかったもの、知って取り入れて良かったもの、そうでないもの。とにかく微々たるものだけど僕は「前進」していたのだろう。
そこで経験したもの、時間の蓄積は「僕」を再構築していった。たぶんその中に、今回の映画を僕に深く感じさせ、僕を涙させるなにかがあったんだろう。
むしろ、この映画を観て泣かなかった人が今の僕には不思議でしょうがない。独善的すぎるけど。