『薔薇だって書けるよ』

薔薇だって書けるよ―売野機子作品集

薔薇だって書けるよ―売野機子作品集

旅の感想も書き終わり、本来のこのブログの趣旨へと回帰できます。マンガレビューを久々にしたいと思います。
今回は売野機子(うりのきこ)の短編集『薔薇だって書けるよ』ですが、このマンガは友達から借りて初めて存在に気づき、そのあまりのおもしろさにわざわざ自分で探して買ったという……それくらいおもしろい作品です。


少女の爛漫さ

この作品のおもしろさというのは、登場人物が見せる様々な性格や仕草、行動が魅力的な点だと思います。それを2つに分別すると、「少女の爛漫さ」と「疚しさ(やましさ)」というようなカデゴライズが可能かな、と。


表題作「薔薇だって書けるよ」の点子や「日曜日に自殺」の愛ちゃんは、元気いっぱいでその行動や表情一つ一つに生き生きとしたエロスが漂っています。



つり目スキーにはたまらない愛ちゃん。リアクションが大きい。

点子も少女らしい爛漫さをもっているといえるでしょう。彼女の場合は少し事情が異なりますが。


疚しさ

少女の爛漫さよりもボクが好きなのは、売野さんが描く「疚しさ」です。なにか含みがあるような視線……そう、彼女のマンガでは視線が非常に重要になってきます。疚しさをはらんだ視線の一例。

「遠い日のBOY」の箱島日高。姉の技量を婚約者の男がほめたシーン。姉に対する嫉妬が口元の笑みとはうらはらに彼女の表情の影から察することができます。中空を見つめる視線も暗示的です。この次のページの「わたしね 姉とも母ともすごく仲いいの」というセリフはこの表情のおかげで深みがでています。
画像は貼りませんが123ページに、日高の婚約者と彼女の姉が仲良く話しをしている場面を見てしまった時の表情、視線からも疚しさを感じ取ることができるでしょう。



連作「オリジン・オブ・マイ・ラブ」より高校時代の神田さん。もうこの目つきだけで彼女の万里子に対する思いが仄かに暗示されています。疚しさを言葉で表現しないところが「オリジン〜」のすばらしい点だと思います。直下の万里子の顔にも顔半分に影をつけて、暗さを、疚しさを暗示しています。(顔半分に影、というのが売野さんの特徴の一つ)

10年後の神田さん。ますますダークなエロスを放っています。「オリジン〜」はエロスだ!!
あともう一ついっておきたいのですが、百合オタとしては「オリジン〜」は傑作だといいたいです。この暗示的なエロス、秘めたる疚しさ……「百合」と標榜しない百合的作品のほうがボクとしては好きです。どうでもいい主張でした。

同じく「オリジン〜」の成瀬くん。男の子にも疚しさがついてまわります。影の付け方、間の取り方がすばらしいです。
このコマ一つとっても奥に無限の物語を読み取ることができそうですよね。空漠たる「ははは」の笑い!


疚しさといえばこの前発売された灰原薬の『回遊の森』のオビは「この疚しさは罪ですか」でしたが、灰原さんのマンガも疚しいですよね! 最初のエピソードから、もうぞくぞくします。くちびるがエロス的。というか犯罪的な作品ですよね。

回游の森 (Fx COMICS)

回游の森 (Fx COMICS)

そのほか

まぁあとはまとまりがないんですが、売野さんの話って基本的に「王子さま物語」の骨格を有していると思いました。
「薔薇だって書けるよ」はネジがぶっとんだ点子をちょっと頭弱い男が、なんだかんだで彼女の長所を伸ばしてあげて、幸せになる話でした。
「日曜日に自殺」も女性ファンの夢の中に死んだボーカルがでてきてあげる話。
「遠い日のBOY」は誰かに見つけてもらうことを願っていた女性が未来からきた男と出会う話。
ぶっとんだ内容と、男性が「この子だ!」と見つけてあげる話って、つまり本質的に少女マンガの系列(このへんは直感ですがーーー他者の承認と唯一性)なんじゃないかな。「晴田の犯行」で「白馬の王子様」というワードが登場するけれど、時系列的にはこの作品が一番最初なわけで(多分ね)、作者の中で「王子さま物語」はなにか尾を引いている感じがします。


あとはわざと時代をずらす手法が多用されているのも特徴ですよね。
明治時代らしかったり(遠い日のBOY)、ビデオテープとCDの時代(日曜日に自殺)だったり。
ま、特に何ってわけじゃないんですけどね!

まとめ

だから売野機子のマンガには明るいエロスと暗いエロスがない交ぜになっていて、このうえなくおもしろいマンガですという話でした。紙オタク垂涎(すいぜん)!百合オタ必見!!
サイン会あったのかよーーー気づくのが遅かったぜ!!
この過疎ブログは売野機子を応援しています。

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愛と機会主義